江戸の囲碁川柳

指手のいろいろ

勝手寝させて碁は劫に打つ

劫に成ったと夕飯をわすれてる

劫に成ったと芦久保の水を呑み

しっかり継いで劫はいやいや

劫がないので一目のまけ

両劫が竜虎のごとくにらみあう

劫の句は多い。第一句は劫が始まると碁が長くなるので女房、下女等の勝手方を先に寝かせた。第三句の足久保は静岡県の地名。静岡茶発祥の地と言われる。

 

いそがしい碁は稲妻を打ちらし

樹造りの影を見落す碁の一手

蛇の這うた形にしちょうの取られあと

勝の碁をしちょうの破れ見落して

落城はしちょう破れの碁の終リ

一(ひと)しちょううつゝぜめ程せわがやけ

横眼を遣かいしちょうのあたり打って置く

しちょうは劫にて逃げおおせん

碁の手にはしちょうが有れど蚊にくわれ

蚊の喰うもしらずしちょうの破れた碁

シチョウは碁川柳でよく取り上げられる指手である。最初の三句はシチョウの石の形を詠んだもので稲妻、樹形、蛇の這う跡と表現している。次の三句はシチョウを読む難しさを詠んでいる。うつつ責めは罪人を眠らせない刑罰。次の二句はシチョウ当たり。相手に気付かれないように横目で打ったり、コウと組み合わせたりいろいろ工夫している。最後は語呂合わせ。紙帖は紙で作った安物の蚊帳。よみがシチョウなので碁川柳にはよく登場する。碁でシチョウを打ってもちっとも蚊除けにならない。

 

中手を置いて小便に立つ

せめ合いの石に死脈の打つ中手

生石に中手おく手は石こづめ

打込む中手見物も取り巻て

ナカデは華麗で、打った方は得意満面。見物人も固唾をのむ。死脈がうつは臨終の近いこと、石子詰な罪人を生きながら穴にいれ小石を詰めて圧殺する刑罰をいう。

 

はらのたつ如来手を喰う碁の頓死

如来手に死んだる石は涅槃石(ねはんいし)

如来手は仏教に無い碁方便

如來手は死石すくう碁の上手

如来手は最近は使われない用語である。うっかり相手がダメをつめたため手数で負けていた攻め合いに勝てるようになること。その結果死んでいる石が生き返るので如来手という。如来は仏様、涅槃は仏の入寂をいう。如来手で取られた石は仏教つながりで涅槃石と命名している。

 

工夫する碁の手夕べせき残り

せき破れ盤中白の物となり

第一句は碁の手のセキと咳をかけている。

 

雨にくる客にはかする碁の足駄(あしだ)

かくべつや御庭へまわす碁の足駄

足駄は雨天の時にはく下駄だが、碁の指し手としてはゲタよりやや広くカケテ相手の石を取る手を指す。

 

一目のはねがおまえのおしあわせ

角のはねにて勝ちとなる囲碁

はいまわる碁にませがきの竹のふし

碁は川狩のあみに打ってがえ

追落して地はま百目

猿這(さるばい)は碁盤の岸のつたかづら

八目の徳をみつけて端の石

巣籠の碁は上げ石も鷲掴み

まがり四もくにすえたから死なぬ也

ハネ、タケフ、ウッテガエ、サルバイ(サルスベリ)、スゴモリ、マガリシモク等おなじみの用語は江戸時代にすでに使われている。

 

切られても検使のいらぬ碁の喧嘩

きみがよい将棋の両手碁の切る手

検使は殺傷・変死の現場に出向いて調べる役人。

 

強いやつ弱いやつ

つよい事三目程の勝ちにする

目算に寝浜はさせぬ碁の上手

いつも三目勝ちにつくる名人芸。ネハマは相手の色の碁石をあらかじめ隠し持って作る時にアゲハマの加えるインチキ。碁の上手はハマの数まで頭に入れているのでインチキはできない。

 

那智の石持たぬで知れる碁の力

強過ぎた碁の己れ淋しき

那智の石は那智黒石。誰が相手でも常に白番の上手。でも強すぎると相手に困る。

 

まっ黒な中に手を打つ本因坊

碁所も一手すきなり大晦日

本因坊は真っ黒な模様の中でも生きてしまう。幕府役人の碁所は多忙だがさすが大晦日には仕事がない。

本因坊家は安井家・井上家・林家とならぶ碁の家元四家の一つ。四家の中で最強のものが幕府により碁所に任命されお城碁の管理等の業務を行った。初代の碁所は安井算知。

 

碁の先生の余の智恵はなし

碁の会にぽんとしたのが師匠なり

碁の上手は世間にうとい。ぽんとしたは風采の上がらないの意。

 

気みじかに石取りたがるみそこし碁

下手は早打ち。みそこしは笊。

 

いつの間にごねたかしらぬ下手碁同士(どし)

下手の碁は七度(ななたび)かわる秋の月

下手同士が打つと知らない間に石が死んでいる。ごねるは死ぬの意。第二句は下手同士の碁は石の生死が度々かわる。七度かわる秋の月は狂言狂言『墨塗』の「男心と秋の空は一夜にして七度変わる」というセリフが下敷き。

 

むだ駄目をさしてへぼ碁は追落し

こちらからともに殺してやる下手碁

下手碁打ちは安易にダメをつめて追い落としを食う。黒石を殺すのは白番だけでなく自分(黒番)も殺しにいくのが弱い証拠。

 

切ると目が覚め膝をうつ下手碁打

下手の碁は勝って甲の緒が解ける

下手碁折ふし南無さんの声

雪隠で考えて居る下手っ糞

これらは解説不要だろう。

 

 

勝ったやつ負けた奴

御預り申して置くと勝ったやつ

しあわせをいたしましたと又ならべ

勝者のせりふ。

 

ちと勝利得しは小歌を盤の縁(ふち)

碁に勝って上戸に餅を買わせけり

碁は勝ちに決っして床の花を誉め

勝者のしぐさ。第一句は小唄を歌う、第二句は下戸の勝者が上戸の敗者に餅を買いにやる、第三句は勝者に気持ちの余裕ができて床の間に飾ってある花を誉めた。

 

碁の白を打っておとして悦に入り

わすれ果て使いに笑って立つ碁盤

第一句は黒番で碁に勝って嬉しいという単純な句。白と城をおとすをかけているのがミソ。第二句は使いに行く途中で碁に寝中、碁に勝った時に使いを思い出した。

 

思う様勝つと小便したくなり

雪隠でくしゃみをするは勝ったやつ

勝者が小便に立つ間に敗者は見物人と悪たれ口。

 

碁に勝って戻りゃ門(かど)から咳拂(せきばらい)

夜遅くまで碁を打ってやっと勝って我が家にたどとりつくと、家の中から山の神の咳払いが聞こえる。桑原々々。

 

月代(さかやき)にかゆみが来ると負けになり

碁を打っている最中に頭を掻くのは形勢の悪い証拠。

 

碁にまけて来たは木魚(もくぎょ)の音で知れ

親の負け碁にまず膳を出す

和尚が碁に負けて帰った時は木魚のリズムも狂いがち。親が碁に負けて帰った時はつまらないことで叱られないようまず食事の準備。

 

碁に負けておかしや下戸の酒うらみ

下戸のくせに酔っていたので負けたと言い訳。

 

負けたやつそっちへ煙(けぶ)を吹けという

腹立ちに碁盤を薪とのたまへり

負けたやつそば切賣をひっ叱り

負けた奴の八つ当たり。第一句は碁の相手の煙草のに煙、第二句は碁盤に、第三句はたまたま通りががかった蕎麦売りに八つ当たり、

 

負腹も立てず相手を誉めている

負けたやつ小便に出て星を誉め

上品な敗者。

 

さら/\と柚味噌で茶漬負碁腹

負けた夜は腹を碁盤にして寝入り

ヤケ食いか?「腹を碁盤には」は「腹(皷)をうつ」で満腹にするの意。

 

負けてきた手をば師匠へしかけて見

あやまてりとて碁経又見る

勉強熱心な敗者。碁経は玄々経などの碁書。

 

昨日負たやつ碁盤を出して來る

早速に昨日負けた碁の意趣返し。

 

碁盤と碁石

助言すなと口なし形の盤の足

碁盤は背に臍鍋釜は尻に臍

むかしから碁盤の臍は四角也

碁盤の脚の飾りは第一句がいうようにくちなしの花の形であるとか橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)の形とかいわれる。くちなしは「口無し」で助言不用を暗示している。碁盤の裏には臍と呼ばれる四角な窪みがある。これは碁盤に碁石を置いた時の音と感触をよくするためといわれる。臍は血溜まりとも呼ばれる。碁の対局に口を出した者の首を切って碁盤を裏返してその上に置く。臍はその際の血溜まりだという物騒ないわれがある。

 

古碁盤足がひょろつき目がかすみ

年を経し碁盤目もなし足も無し

手ずれたる碁盤に顔のうつる程

石一つかつて碁盤のよくすわり

古碁盤は足もがたついており盤面の罫線も消えそうに薄い。第一、二句はその様子を詠んだもの。第三句は使いこまれた碁盤の盤面の輝きを、第四句は足ががたつくので碁石を一つかって安定させる様子をよんでいる。

 

紙碁盤はては紙帳(しちょう)の継になり

自身番風に碁盤を吹取られ

江戸時代は紙の碁盤も使われたようだ。何度も使うと破れれるので蚊帳(紙帳)の継に使う。碁盤とシチョウが縁語。第二句は町人地にあるの番所で使っていた紙碁盤が風に吹き飛ばされたの意。

 

碁盤には碁を打つだけでなくいろいろな用途があったようだ。

 

物縫いに貸せば碁盤が足を出し

碁の客が來ぬでしつかり押しがきき

うつぶけて洗濯物に置く碁盤

碁盤しらげて仮のまな板

碁盤を裏返して裁縫のくけ台(布地を引っ張る道具)、縫い上がった着物や洗濯物の上にのせてしわ伸ばしに役立てる。最後は板碁盤を洗って(しらげて)、まな板にも使ったようだ。

 

俄雨あたまに碁盤乗せて来る

四方面(しほうめん)女房の用は足を上げ

第一句は俄雨の時の傘がわり。第二句はやや難しい。四方面は四方正面でどこから見ても柾目の最高級の碁盤。でも碁を打たない女房には猫に小判で足台ぐらいしか使い道がない。

 

碁盤にて蝋燭あおぎつ力くらべ

軽業の稽古碁盤の上で反ってみる

力自慢の相撲取りはお座敷で碁盤を片手に持って蝋燭を扇いで消して見せた。碁盤の上で軽業を披露する者もいた。

 

なぶられて次第につやの出る碁石

十五夜に三日月も出る古碁石

碁石も使い込むと艶がでる。さらに古くなると三日月のように欠けた碁石も混じるようになる・

 

この白い碁石が元は雀とは

雀から碁石に成った三代目

はまという碁石二度死ぬ浜の貝

中国には雀が海中に入り蛤に化するという伝説がある。碁の白石は蛤から作るので雀から勘定すると三代目になる。さらに蛤が死んで白石になりそれが殺されてハマになる。

 

那智黒の雨にざれ出る座敷跡

碁盤へも一ばんに打つ那智

黒石は紀州の那智黒石が珍重される。座敷跡は宴会の後の意味で雨が降ったので宴会後が碁会となったという意味である。西国三十三所の第一番は那智山青岸渡寺である。碁の第一手は(那智)黒石だし、西国巡礼の最初も那智山だ。

 

饅頭を喰いさして置く碁笥の蓋

孫ふたりつれ碁笥にあん餅

焼飯おにぎり入れたる碁笥の内

揚弓(ようきゅう)の的に釣りたる碁笥の蓋

碁笥にも色々の用途がある。饅頭、餅、おにぎりを置く皿に使える。揚弓は小さな弓を使った射的ゲーム。その的にも碁笥を使う。

 

 

助言のいろいろ

助言無用の碁の勝負。その中で見物人は助言の上品な表現をいろいろに工夫した。優雅な言葉遊びだ。

 

エヘンとはせきにせよとの碁の助言

かけたかと啼くは助言のてには也

これらはすぐわかる助言。エヘンと咳払いをするのは咳つながりで、「キにせよ」の助言になる。第二句はホトトギスの鳴き声が「テッペンカケタカ」であることに気付けばすぐわかる。「カケてとれ」という助言である。「てには」は「てにをは」で初歩とか基本という意味である。

 

まなばしを後ろへ下げて助言する

五月雨は盤に踏える倦碁(けんご)の足駄(あしだ)

覗いては竹の節いう碁の助言

岡目八目吹がらの助言する

手拭を助言いいいい干して居る

菜箸(まなばし)を下向きにもつのは「サガレ」のサイン。第二句は五月雨というのは「アシダ(ゲタよりやや広いカケ)」にかけてとれという助言だの意。第三句、第四句は「タケフ」に継げという助言。吹きがらはきせるで吸ったたばこの燃えかすで竹筒の灰吹き(吐月峰)に捨てる。第五句は手ぬぐいを絞って干すので「シボレ」とう助言。

 

雷に碁の助言云わさす紙帳(しちょう)賣り

碁の一手助言になりし紙帳売り

ゆかた着て助言いいいいかいて居リ

雷除けには蚊帳の中に入るのが昔の常識。和紙製の蚊帳を紙帳と書き「しちょう」と訓んだ。したがって「雷」というのは「シチョウ」にかけろという助言になる。第二句は蚊帳売りが来たので「シチョウん」の手を思いついたという句意。第三句は蚊に食われて掻いている。蚊帳がほしい、「シチョウ」だとなる。

 

碁の助言きものいれたる小袖ひつ

知らぬ顔小歌に骨のある助言

碁の助言そなたは浜の御奉行かへ

助言の上級編。第一句の「小袖ひつ」は着物入れ。「着物入れ」は「肝入り」と読みかえれば仲を取り持つの意味になる。したがって「小袖ひつ」は「ツゲ」の助言になる。第二句は知らぬ顔で小歌を唄っているの句意だが、当時流行の小歌「からかさ」の文句は「から傘の骨はばらばら紙ゃ破れても離れ離れまいぞえ千鳥掛」でこれも「ツゲ」という助言。第四句の浜の御奉行は浜離宮の管理役を指す。初代浜奉行は伊豆(いず)守永井直敬。したがって「デロ」という助言。

 

袖口をなで消しながら助言いう

そっと突く膝も助言の道具也

袖引かれたばこ輪に吹く碁の妙手

助目くばせ便りに聾打っている

しぐさも助言になる。袖口を撫でるのは出るのを打ち消しているので「デルナ」の助言。膝をつくのははさまを「ツケ」の助言。見物人に袖を引いを注意され妙手に気が付いた。得意げに煙草の煙を輪にしている。最後の句は耳の聞こえない対局者には目配せで助言。

 

助言憎くくも物によそえる

なぞらえて諷(ふう)にうとう碁の助言

岡目四目はめっつかちの助言也

助言は憎いが本当にうまくものになぞらえるものだ。第二句は碁の助言は直接はいえないので他のものになぞらえて唄うようにいう。第三句は下手の助言は目先しか見ていない。岡目四目は四目先までしか見えない未熟な碁打ち。めっかちは近眼の意。

 

助言無用と小便に立つ

助言せぬ碁や風凪(かぜなぎ)の濱千鳥

対局者の一人がトイレに立つ時にいない間に助言をしてはいけないよと見物人に釘をさす。第二句は助言のない碁はないだ海のように平穏だ。